ゆんゆの もぐりんほろりん

摂食障害 非嘔吐過食3年、過食嘔吐4年 戦っても逃げても生きてればきっと勝ち

「可哀想」の基準


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何気なく高校時代の写真を見返してる時に

部活の顧問に言われた一言を思い出しました

 

「お前より大変な思いをしてる人は沢山いるから、お前は可哀想じゃない。ただの甘えだ。」

 

部活の顧問の先生は、定年退職間近の

おじちゃん先生だったのですが

とにかく頼られる事が好きで

「困った事があったらまず俺に相談しろ」

が口癖でした

 

私は顧問の事がめちゃめちゃ苦手だったので

家庭の事情や悩み事に関しては

全て副顧問の先生に相談していました

(副顧問は保健室の先生だったのもあり、相談しやすかったし信頼していたので)

 

心が不安定な時期、保健室に

よく通う日が続いていました

 

それに気付いた顧問が

「何で俺には何も相談せえへんねん」

と理不尽にブチ切れてきました(笑)

 

部長という立場上、部員の為にも

顧問との関係をこじらせる訳には

いかないと思いました

 

そこで、放課後顧問と二人きりで

進路相談室に入り

勇気を出して摂食障害かもしれないと

いう事を相談しました

(高3の時に摂食障害の存在を知りました)

 

その時に放たれたのが

冒頭に出てきたあの一言です

 

俺の知っている過食症の子は

もっとガリガリでヒョロヒョロで

学校行事の時の食事も凄い量を食べていた

 

お前は太っているし

ただの考え過ぎだろ

 

私が思った事は悲しいとか辛いとか

そんな感情ではなく

 

マジかこのオッサン…でした(笑)

 

私は同情して欲しくてこの話をした訳じゃない

 

少しでも改善していく為にはどうすれば良いか

一緒に考えて貰ったり

今溜め込んでいるモノをただ聞いて貰えれば

それで良かった

 

以前ブログにも書いた通り、

私は辛いと思うバロメーターは人それぞれだと思うし、それを消化出来るペースや容量

皆違うと思います

 

貴方は可哀想、貴方は可哀想じゃない

他の言い方だと例えば

貴方は恵まれているんだから、とか

 

他人から見たらそうなのかもしれないけど

内側を覗けば、言葉では説明出来ないくらい

複雑なモノがぐっちゃぐちゃに

絡まり合ってるのかもしれない

 

可哀想の基準は、誰に量れるモノでもないし

量られるモノでもないなと

その時に強く感じました

 

SNS上で、特によく見かける

同じ障がいや、同じ悩みを持つ人達同士で

お前より私の方が可哀想だし苦しんでる

みたいなマウントの取り合いとか

 

ああいうの無くなると良いな

(私なんかが偉そうに言える立場じゃないけど)

 

皆が皆に優しい社会になりますように

それのお手伝いが、私にも少しでも

出来ますように

 

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今日も猫くんが

私の心を穏やかにしてくれます

 

いつもありがとう